思い出したるは中学生時代『月がきれい』

友人とご飯に行く前にひと眠りしたかったのですが、寝れそうにないので再度投稿。

 

少し前に『月がきれい』というアニメ作品を視聴しました。2017年の4月から、いわゆる「春クール」の作品として放送していた物だと記憶しています。

 

4月辺りはライター業が忙しくて、なのにバイトのシフトは減らせないという地獄のような時期だった事もあって、リアルタイムでは追えなかったのですが、あまりにもさまざまな友人から「あれは見てるものだと思ってた」「大森さんは絶対好きですよ」などと言われていたので、知人の家に泊まりに行った時に、彼が録画していた物を観させてもらいました。

 

その後の顛末は、僕が散々ツイッターで喚き散らしたことからも解るように、まぁ僕の好みに当てはまりすぎてる作品だった訳です。ここまで何も考えずにブルーレイを買ってしまったアニメ作品は他に記憶がありません。新海監督の作品ですら、『秒速5センチメートル』と『言の葉の庭』以外はちょっと悩んでから買いましたし。

 

じゃあ『月がきれい』の何がそんなに素晴らしかったのか、と言われると、ツイッターでも散々言ったように「描写が丁寧で、セリフがなくとも細かな仕草や表情だけで心理描写が完結している」というのが第一。

彼氏とのラインのやりとりが見られないように、人が来たらスマートフォンを胸元に寄せたりする描写なんか感動ものでした。

 

次に「ファンタジーと現実的な中学生の恋愛をちょうどいい塩梅で描き切っている」のも凄く大きなポイントだったなと、今にして思います。

 

というか、知り合いのサブカルに造詣が深いお兄さんにこの作品を薦めたところ「学生時代の純粋な感じが思い出せて無茶苦茶良かったよ」と言われたのですが

「でもちょっと主人公たちの関係性はファンタジーすぎるよね。最終回のエンドロールでの結婚しましたっていう描写は視聴者に見せないで、おもいおもいの結末考えさせて良かったでしょう」

という言葉も同時にいただいたんですよ。そこでちょっと冷静に作品を思い返してみました。

 

あの作品の主人公たちの関係性は「ファンタジーな関係性に寄りながらもどこか現実的にありえそうな付き合い方」、といういい塩梅で描写されています。←でもひたすらに2人が尊いから観てる最中は語彙力を失う。

 

それが壊されて、ほぼファンタジーになってしまうのが最終回での結婚式を描写したラストシーンの1枚なのですが、むしろそれがあったからあの作品は成功したのではないかとも思うのです。

 

月がきれい』は、脇を固めるサブキャラクター達の恋愛観は現実に寄りすぎているんですよね。デートの度にセックスしてると考えられるカップル(でも彼女はそれに嫌気がさしている)とか、部活内の美男美女で、周りに持て囃されて相手を意識しちゃう感じとか。

主人公たちもスクールカーストでの立ち位置を考えると、ああいう付き合い方になるよねっていうのは凄く解りますし、とても生々しい描写が満載です。性的な描写はないですが。

 

しかし、現実的すぎる恋愛を描いたアニメ作品はまずよほどの事がない限りウケないと思うんです。そんなものを描かれてしまったら、何の為にアニメを見ているのか僕には解らなくなりますし、そもそもの話、そういったものは文学とか別媒体でやってくれという話です。

 

だからこそ主人公たちの付き合い方は現実感を出しながらも、最後は中学生時から付き合って最後には結婚してしまうという「ありえなくはないけれど、現実的ではない」落としどころにして、逆にサブキャラクターたちは徹底的にリアルに描写していたのだと思います。先生といい感じになってた男の子? あれもファンタジーだ。

 

少なくともあのラストの結婚式のシーンが無かったら、大半の人が「でも主人公たちもそのうち別れるよね」という至極現実的な結論に落ち着いていたに違いありません。それを否定してファンタジーとしながらも、しかし現実的な学生の心情を描き切った『月がきれい』は最高に純愛して学生生活してるジュブナイルアニメだったと思うのです。

 

いろいろと個人的に思い出される描写が多すぎて、いやに感情移入しすぎてしまったのも、僕がここまでハマった一因だとは思うのですが……。

久しぶりに書きたくなったので

去年見切り発車をしてからブログの存在を忘れていました。

ブログ使ってまで書きたいことが無かったのも一因です。

 

僕は今年の初めから、「ホンシェルジュ 」というサイトで書評モドキをやっていました。

本の感想を適当に垂れ流すのは好きなのですが、しかしお金をもらってやっていることですから、中々自分が紹介したい本の紹介が書けないフラストレーションは溜まっていく一方でした。お金は貯まらないのに。

 

「ならブログでやれば良いのでは?」と思い立ったのがついさっき。とりあえずまた久しぶりに本とか映画とかアニメとか、自分の見たもの読んだものの備忘録をつける感じで、適当にやっていきたいと思います。

 

ド嬢の記事がはじめにあったし、とりあえずはフィリップ・K・ディックの『トータ

 ル・リコール』が面白かったので書いておこうかと思います(読んだのは半年以上前ですが)。  

 

ディックと言えばSF作家の超有名どころですが、僕は彼の著作を読んだことがありませんでした。というかSFというジャンルは大好きなのですが、あまり海外作家のSFって読んだことありません。ヴェルヌの作品を少し読んだことがあるくらい。仮にも作家を目指してるのに。そんな僕を見かねた友人がプレゼントしてくれた作品がこれです。

 

表題作はじめ、『マイノリティ・リポート』や『地球防衛軍』といった、映像化もなされているような名作を収めた短編集です。海外文学って読むのに凄く根気がいるのですが、短編集なのもあってこれはかなり読みやすい1冊でした。

例えば、ナボコフの『ロリータ』とかは死ぬ気で読み切った記憶があります。考えてみると、読むのに時間がかからなかった海外作家の長編作品なんてマキューアンの『贖罪』くらいしかない気もします。そもそも人に語れるほど海外作家の本読んでないですが。

 

『贖罪』の結末で感じるカタルシスは素晴らしいですよね。数百ページも使って、退屈なくらい丁寧に書いてきた家族間の関係と事件が、最後の数ページで、たった1行をもってして一気に結末(あえて解決とは言いません)まで押し上げられる凄まじさ。マキューアンの『贖罪』だけはぜひ前情報無しで読んでもらいたい大傑作です。僕の読んできた小説の中で、多分5本の指に入るであろう小説。

『贖罪』のようなデキの作品が書けたのなら、それだけで僕は未練なく死ぬことができると思います。それくらいに素晴らしくて、僕のお気に入りの作品。

 

閑話休題、『トータル・リコール』では「地球防衛軍」「訪問者」の2作はとても好みだったのですが、どちらにも共通するのが「人間が地上で生活できなくなっている」点。前者は戦争で、後者は放射能汚染でと理由に違いこそあるのですが、世紀末ものの、荒廃した地上と、清潔な地下シェルターの古臭い雰囲気が堪らなく好きでした。「訪問者」はどんでん返し的なオチまで最高で、とにかくひたすらにワクワクしながらページをめくって、久しぶりに、読書を純粋に楽しんでいた気がします。

 

どの話も非常に面白く読むことができる傑作短編集なのですが「結局自分はSFが好きというより、世紀末ものとかディストピアものといった、SFが好んで舞台とする設定が好きなだけなのでは?」と思わされた1冊でもあります。「吊るされた男」とかも好きですが、あれもSFでありながらサスペンス色強いですし……。

眠れないので初ブログを

とりあえず『バーナード嬢曰く。』の事が書きたいが為にブログを見きり発車させてしまった。

文章の練習も兼ねてます、文才が無いので。

 

自分は自他共に認めるオタクなのですが、ここ最近見た深夜アニメが『ラブライブサンシャイン』だけ、という体たらくっぷりで、これはいかんと思って手を出したのが『バーナード嬢曰く。』。

尊敬する先輩から「君は趣味が小説に偏り過ぎてるね」と言われたのもあって、ひとまずアニメを観ようと息巻いていたのです。

 

毎週本当に楽しみにしているショートアニメで、何が楽しみって、もう作者さんの小説(特にSF)への造詣の深さ、また(にわか)読書家あるあるをテンポの良いギャグへ昇華させてるところに尽きます。

自分は古典SFを全くと言って良いほど読んだことがなく、そちらの知識は皆無なのですが、「うわぁ読んでみてぇ!」ってなる良い販促アニメだと思います。

SF小説の格好良いタイトルが何かに使えそうで覚えちゃうやつはあるあるですね。

夏への扉』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『流れよ我が涙、と警官は言った』『月は無慈悲な夜の女王』とか本当にタイトル格好良いですよね。

 

しかし『バーナード嬢曰く。』を観ていて僕は気付いたのです。

これ結局小説ネタのアニメだし、僕もアニメを楽しんでいると言うより、小説ネタ、読書家あるあるネタを楽しんでいるだけだと言うことに……